世界一周の事などブログで書きたい事はあるけど
宝塚に戻ってきての雑多な記事も書いていきたいなあと思う。
日記を書くのは自分の気持ちや出来事を纏めれるようで好きだ。
アウトプットする場所はとても大事だと思っている。
Xでも発信は出来るけど、どうしても文字数の限界がある事から
誤解は与えてしまう可能性もあるから誹謗中傷や炎上は怖い。
SNSの恐ろしさはよく分かっている。
その点、ブログは見る人は少ないし
比較的に表現は自由で好きなように書ける。
仮に誰に読まれなくてもいいし、稼げなくてもいい。
趣味と考えて自分が書きたいように楽しめたらと思う。
クオリティーや役に立つ情報も度外視ですね。
自分が楽しく継続できたらいいよ。
今回は宝塚に戻るまでの経緯を振り返り書いていこうと思います。
*やや暗めな話です。暗い話が苦手な人はそのまま記事を閉じて下さい。
宝塚に戻ってきた理由

宝塚へ戻ってきたのは父が亡くなったから。
これが決定打ですね。
いきなり暗い話(笑)
実は世界一周から戻ってきて九州のとある片田舎に住んでました。
それで失業保険を貰いながら電車に乗って日本一周でも
のんびりしようと思っていたら、弟からLINEが
「実家に来たら親父が死んでる」
もうビックリ仰天の訃報でして。
その日は関西へ行き世界一周で出会った知り合いと梅田にランチして、
夜は宝塚でまた別の友人と久しぶりの再会する予定だったけど全てキャンセル。
とにかく伊丹空港から梅田へ行き特急サンダーバードに乗った。
なんとも言えない気持ちになりながら途中で
いかりスーパーで買った寿司食べてビール飲んで。
この辺りは何故かあまり記憶が残っていなくて途切れ途切れ。
金沢駅で弟と会ったんだけど、どうやら親父は孤独死だったから
検死する為に遺体は警察が持っていったようだ。
事件性もあるから実家にも入れないって。
慌てて金沢に来たのに何も出来る事がない。
そして実家に泊まる気でいた僕は宿が無い。どうすんだコレ。
しょうがないから弟と駅前で飯食べながら
親父の事や今後の事を話し解散。
僕は急遽ビジネスホテルを予約して泊まった。
金沢に来て数日、街をただ観光したりアパの日帰り入浴してたけど
本当にやる事がない。そして外食代やホテル代も馬鹿にならない。
警察の話だとまだ検死に時間がかかるようなので一旦九州に戻る事にした。
小松空港から飛行機に乗り福岡から急行ソニックで我が家まで。
交通費計25000円。何してんのかよく分からない事に金は飛んでいく。
一週間くらいして弟から再び連絡。
警察から電話があり検死はまだ時間がかかるけど
実家は入ってもいいとの事。
家の中は絶対にゴミ屋敷。
そして父の遺体が放置されていたから死臭もするだろうし
片付けを2人でしようという話になり再び金沢へ戻る事に。
今回は経費を少しでも抑える為、小倉から京都行きの深夜バスに乗った。
早朝に到着して特急や新幹線は使わずに普通電車で。
実家までトータル20時間くらいかかったけど、費用は13000円と
前回よりも半額に近くなったのは嬉しい。
寝不足と長時間の移動で疲労感はあるが
2人で実家の中へ。
親父の遺体があったと思われるベッドにはシミがあり生々しい。
そして家の中は予想通りのゴミ屋敷。・・・いや想像以上。
母は僕らが子供の頃に亡くしたので親父は実質長年、一人暮らし。
そして親父は成人してから頑なに家に僕らですら上げようとしなかったから
中はどうなっているか想像はつかなかったけど酷い状態だった。
至る所がゴミで溢れている。断捨離できない人だったしな。
終活なんてしていないし。
とても数日どころか1ヶ月かけても片付けれる量じゃなかった。
弟と業者は呼ばずに2人でどうにかしようと考えたから長期戦だ。
この日からやっと僕は実家に泊まれるようになったけど
ボイラー壊れてて風呂入れないし
親父よく生活してたなあって環境だった。そりゃ死ぬわ。
数日、僕らは片付けをしていたが
まだ警察から検死が終わる連絡がない事から
一旦僕は同じ手段で九州へ戻る事にした。
宝塚に戻らないと死んでしまう

短期間に九州から金沢を2往復して思ったのが
「こんな生活を繰り返したら死ぬ」
だった。
無職といえど実家の片付けの重労働に加え長時間の移動はきつ過ぎる。
何よりも交通費や親父に関わる手続きで金が湯水の如く飛んでいった。
世界一周したばかりの無収入の僕には辛い。辛過ぎる。
いつまで続くか分からない往復生活。
もう限界だなあと思った時に
「宝塚へ戻ろう!そうしたら金沢まで近い」
そう決断した。実際はずっと九州にいるつもりはなくて
暫く旅してからのんびりしたら宝塚へ戻ろうと思っていた。
しかしそうは言ってられない。もう死活問題だ。
すぐにSUUMOで住みたい物件を探すと
なんと以前に住んでいた部屋がまだ誰にも住まれず空いていた!
同じアパートだけじゃなくて全く同じ部屋。
僕はこの暮らしが大好きだった。
今にして思えばなんで引っ越したんだろうと思うくらいに。
そして問い合わせて手続きをすると、どうしても
無職という点が審査に引っかかる可能性はある。
多分、貯金額でいけるはずだが。念のために仕事は就いていた方が無難だ。
前に働いていた介護施設の上司にLINEで連絡してみたら
「そうしたらウチでまた働いたらいいんじゃない?」
って軽い返事が届いた。えっ!?そんな軽いノリでいいん?w
とにかく職場で復職させてもらい、不動産屋に行って
部屋を借りる為に宝塚の地へ再び足を運んだ。
もちろん深夜バスで。小倉から三宮行き。
脅威の2500円だった!嬉しいが疲れる。
それで宝塚で職場と不動産屋へ行き
トントン拍子で再び宝塚に住み、働く場所も決まった。
あまりにも急展開で事が進み自分でもビックリしている。
もちろんその後はそのまま九州へ戻るつもりはなくて
またまた金沢へ戻り再び実家の片付けへ。
そして向かっている最中に弟から連絡があった。
「検死が終わったって警察から連絡あった!」
なんというタイミングだろう!
奇跡的に上手く事が進んでいた。
それから親父を引き取り葬儀を終えて
数日また片付けをしてから
部屋の契約や引っ越しの準備の為に
九州へ戻っていきました。
この辺りはバタバタしていたから
正直、父の死をしんみりと悲しむ余裕もなかったなあ。
結局まだ実家の片付けは完結していないし、
手続きもまだまだ残っているから。
ただ九州と金沢を1ヶ月で3往復したのは
本当にきつかった。途中からは
旅行のつもりで楽しむ事にして頭を切り替える事にした(笑)
父の死があったからこそ

恐らくだけど親父が死んでいなかったら
宝塚にまだ戻っていないですね。
無職のまま九州の安アパートに家具を放置して
暑いから北海道を鉄道で巡っていたんじゃないかな?
そう考えると親父やらかしてくれたなあと思ったりするけど(笑)
ちなみに実家は弟が引き継ぎ住む事になった。
僕は今更、金沢へ戻るつもりはこれっぽっちもないので
これは本当に有難い。資産なんて要らないしね。
まあこうやって宝塚に戻ってきたのも
何かの御縁なのかな?
遅かれ早かれ宝塚に戻るつもりだったしね。
ドタバタした1ヶ月だったけど
再び宝塚の生活が始まったってわけ。
くらーい話になったけど、
これがスタートライン。
コレからは宝塚での楽しい暮らしを書いていこうと思う!