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イスタンブールを離れて——ブルガリアへの高速バス

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イスタンブールのバスターミナルへメトロで向かった。

ターミナルに着くと、広い構内に大勢の客引きや案内係の大声が響き渡っていた。

「ブダペスト!ブダペスト!」 「ヘイ、ソフィア!!」

陸路でヨーロッパ各国とつながっているトルコだからこそ成立する光景だ。

海に囲まれた日本では絶対に見られない。

まるで築地の市場のセリのような活気で、バス乗り場ごとに行き先が違う。

ブダペスト、ソフィア、アテネ、ベオグラード——聞いたことのある都市の名前が次々と飛び交う。

こういう時、妙な想像をしてしまう。もし違うバスに乗ったら、また違う冒険が始まるんだろうなと。

変な話だが、自分の体が1つしかないのが歯がゆくなる(笑)。

今日乗るのはブルガリアのバルナ行きだ。ブルガスは途中の停留所なので途中下車しなければならない。

ぐるっとバス乗り場を一周してバルナ行きを見つけ、

建物の中に入って受付の女性にネット予約の画面を見せると、紙のチケットを発行してくれた。

この旅にしては丁寧でちゃんとした接客だ。思わず嬉しくなる。

「バスは30分後に来るからそのまま待っていて」

トイレを済ませて室内の椅子に座り、バッグを抱えて待つことにした。

所要時間は6時間。朝食はいつも通り山ほど食べてきたから、到着まで空腹の心配はない。

水のペットボトル500mlを3本スーパーで買って用意してきた。

休憩があれば自動販売機で飲み物を買う人もいるだろうが、僕は日本にいる時から自販機では買わない。

安いスーパーかドラッグストアで事前に買って用意しておく。

セコい話に聞こえるかもしれないが、長年続ければ世界一周できるくらいの貯蓄に繋がると言っておこう。

外から「バルナ!バルナ!」という大声が聞こえてきた。バスが到着したようだ。

建物を出ると、日本の観光バスのような大型バスが停まっていた。

シャトルバンとは全然違う。しかも割とキレイだ。

東南アジアの移動で散々な目に遭い続けた結果、乗り物にあまり期待しない習慣が身についていたので、これは素直に嬉しかった。

乗車客は6人ほど。20人は裕に乗れる大型バスにこの人数だから、余裕たっぷりだ。メインバッグを預けてバスに乗り込んだ。


バスはフリーWi-Fiまで完備されていた。パスワードが座席のカードに書いてある。

隣の席は誰もいない。ガランとした車内で2席を独占できる。嬉しい誤算だ。

定刻になると運転手は何も言わず静かに出発した。途中の停留所やパーキングエリアの案内は一切ない。

バンコクからシェムリアップのバスだけは乗務員のお姉さんがアナウンスしてくれたが、それが例外だったらしい。

案内なしで出発するのは万国共通のようだ。

運転手の他にもう1人、客席に普通に座っているおじさんがいた。

最初は乗客かと思っていたが、どうやら乗務員らしい。途中で運転を交代するのだろうか。

高速に乗って1時間ほど走ると、そのおじさんが立ち上がって客に何かを配り始めた。

サンドイッチだ。そしてあの四角い水の容器。

思わず声が出そうになった。片道5,000円で国境を越える長距離バスに、飲食サービスがついている。

しかもその後にチャイ、クッキー、飴まで配ってくれた。至れり尽くせりだ。

バンコク発のバスでも似たような経験はあったが、同じ5,000円でも東南アジアとヨーロッパでは物価が全然違う。

それでもこのサービスは同じというのだから、トルコのサービス精神には脱帽するしかない。

思いがけない収穫に気持ちが緩んだ。それがいけなかった。

ドリンクホルダーに置いていたあの四角い水の容器が、隙間からスルリと落ちた。

硬い床に叩きつけられた容器は、その衝撃だけで完全に破損した。

あの容器は見た目以上に脆い。中の水がじわじわと床に広がっていく。拭こうにも拭くものが何もない。

焦っているうちにバスは走り続け、水は前後の席まで広がってしまった。

異変に気づいたおじさん乗務員が近づいてきた。状況を把握した瞬間、僕に向かって怒鳴り始めた。

トルコ語で何を言っているか分からない。ジェスチャーを交えながら英語で説明しようとしたが、おじさんには英語が通じない。

納得しないまま不機嫌な顔で席に戻っていった。

後ろの席の女性に振り返って謝ると、彼女は笑顔で「ノープロブレム」と言ってくれた。

それだけで少し救われた気がした。申し訳ない。

途中の休憩でバスが停まると、おじさんは荷物庫からモップを取り出してきた。

ブツブツ言いながら客席に広がった水を拭いていく。

「ソーリー」と何度も言ったが、おじさんは完全に無視だった。

悪気がなかったことくらい、言葉が通じなくても伝わると思うのだが。

でも自分の仕事を増やされたのだから、怒るのも無理はない。

日本の無愛想なバスの運転手も似たようなものかもしれないと思うと、少し気が楽になった。

バスは再び走り出した。


とにかく田舎だ。たまに小さな村が現れるが、あとは草むらがひたすら続く。何もない。

でもこういう何もない景色が、日本に戻ってから妙に思い出に残るのかもしれない。

車窓を眺めながら、ふとそんなことを思った。無事に生きて帰らねば。

出発から4時間ほど経った頃、バスは山の中に入っていた。どんどん高度が上がっていくのが分かる。

すると運転手が振り返って「パスポート」と連呼し始めた。国境の検問所が近いようだ。

全員バスから降ろされた。

久しぶりの陸路の国境越えだ。標高が高いせいか気温がぐっと下がっていて、防寒着を持っていない体が震えた。

霧が濃くて数メートル先も見えない。こういう場面、宝塚歌劇にもなかったかな、などと余計なことを考えながら順番を待った。


まずはトルコの出国審査だ。

乗客が少ないので順番はすぐに回ってきた。制服姿の男にパスポートを差し出すと、男は突然大声を上げた。

「オー、ジャパニーズ!!」

何だ、珍しいのか。男は嬉しそうに「ハラキリ、ショーグン」と言いながら刀を振り回す素振りをしてみせた。

ふざけているのか。一応、僕は剣道の有段者だ。お望み通りたたっ斬ってやろうか(笑)。

「アイアム サムライ」

そう答えると男は満面の笑みになり「オー、サムライ!グレイト!」と叫びながらパスポートにハンコを押した。

ちゃんと仕事しろよ(笑)。まあ、あっさり通過できたから良しとしよう。


次はブルガリアの入国審査だ。

さっきとはうってかわって、担当官は真面目な顔で質問を始めた。

行き先、宿泊先、目的、同行者の有無。矢継ぎ早に聞いてくる。バッグの中身も確認された。

「ブルガスに観光で4日間行くんだ」

すると担当官は首をかしげた。

「ブルガスに?オフシーズンなのに何もないだろう」

少し嫌な流れだ。こういう時は挙動不審になってはいけない。

宿泊トラブルがあったなどという余計な話も絶対にダメだ。余計に怪しまれる。シンプルで嘘のない答えが正解だ。

「黒海を見てみたいんだ」

一言そう答えた。担当官は少し考えてから「どこに泊まるの?予約してる?」と聞いてきた。

スマホでネット予約の画面を見せながらホテル名を伝えると、ようやく表情が和らいだ。

「良い旅を」

パスポートが返ってきた。ほっとした。

海外では入国前にホテルを予約しておくことが必須だと、あらためて実感した瞬間だった。


バスに戻ろうとした時、一緒に乗ってきた女性が担当官に呼び止められていた。

何かが引っかかったようだ。事情は分からない。

ただ彼女は言い訳もせず、反発もせず、ただ静かに俯いていた。心当たりがあるのかもしれない。

バスは出発した。

霧に包まれた山の中に、彼女の姿が残された。

こんな場所からイスタンブールにどうやって戻るのだろう。

バスが走り出すとすぐに、彼女の姿は霧の中に消えていった。

全く知らない女性だ。でも心にくるものがあった。旅には時々、こういう場面がある。


国境を過ぎるとバスは山道を飛ばし続けた。体感で80キロから100キロは出ている。

曲がりくねった山道でこのスピードはさすがに怖い。車酔いがじわじわと込み上げてきた。

1時間ほど走ってグーグルマップを確認すると、もうすぐブルガスというところでバスが停まった。

トイレ休憩だろうかとパーキングエリアのトイレを済ませてバスに戻ろうとすると、

運転手と乗務員のおじさんが食堂でがっつり昼飯を食べ始めていた。

ご飯休憩だった。

あと10キロも走ればブルガスなのに、こんな場所で1時間足止めを食うのか。

歯がゆいが、しょうがない。海外では思ったようにいかないことが多い。

細かいことでイライラしていたら旅は続けられない。

「ここは日本じゃない」と自分に言い聞かせるだけだ。無事に目的地に着けば良しとしよう。

もしかして運転が荒っぽかったのは腹が減っていたからか。そんな疑惑すら浮かんだ(笑)。

1時間後、運転手は何も言わずバスを走らせた。

ようやくブルガスへ到着した。さあ、4日間何をしようか。

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